Category: コラム

有難う!高校生!!

この前生徒たちがディベートでコンビニの深夜営業の是非を肯定と否定側に分かれてゲームを行った。様々な視点が出てきて大変面白く、充実した授業になった。コスト面や環境面など日常生活から提案がなされていた。なんと頭がいい立論、反駁だろうか、若い世代の視点は高齢者の私では測りがたい。

例えば、バンドで言えば「ししゃも」魚と思うが、漢字は柳葉魚。アイヌ語からきているようだ。3人組のガールズバンド。CMではタウンワークやNTTドコモなどでよく耳にした。

「スガシカオ」少し年代が古いが本名のようだ。菅(スガ)が苗字、名前は止戈男(シカオ)。びっくりだ。父親が高度成長期の日本が受験戦争や、人を蹴落とすなど争いごとを止めるという意味で中国の古典から引用して名前を付けたようだ。

岡崎体育の失恋ソング。聴いてみると全然失恋の感じが伝わってこない。言葉では「失恋しました。」と言っているが曲はテンポが良く、合いの手がはい、はい、ハイと入っている。どこが失恋?今の若者の音楽を聴いても理解できないのは当たり前だが、この若者世代を味方にして何かできないだろうか。

さとじィの高校生たちも、次世代の若者はやれるんだ、これからの国を背負えるんだ、と喜びとともに、若い高校生の男女と同じ空間にいることが素晴らしいと、さとじィは感じている。有難う高校生!!このように感じるのはさとじィだけだろうか。

  

「生きる」

教員時代の思い出に家庭訪問の際に、訪問先のご家族に人間模様を感じることがあった。

40年以上も前だから現在とは大きく社会環境も変化している。家庭訪問は、普通小学生や中学生までであるが、たまたま高校生の家庭訪問があった時代だ。女子高だったので、気を遣うことが多かった。

以前コラムでも少し触れたが、太った生徒が家庭に行くと家族全員が太っていた。帰りがけに柱を見たら、「どすこい!!」と文字が刻まれていた。笑いに耐え切れなくなり急いで挨拶して帰った。

東武電車に乗ろうとしたら何やら親子で路線の駅名が載っている看板をしきりに見ている。子どもが親に駅名を教えている場面に出くわした。どうやら母親は文字が読めないようだ。娘が真剣に教えていたのだ。その光景になぜか涙が込み上げてきた。よく見るとその娘は、私が勤めている高校の生徒だった。

日本人は識字率は世界でもトップクラスだ。明治天皇のお蔭で教育制度が制定され、日本人は文字を読むことが出来るようになったことを思い出した。

授業では漢字の読み違いで「熱海(あたみ)」を”ねっかい”と呼んでいた。偏差値が低い生徒たちが多かったが今を一生懸命生きていた。チェッカーズの「涙のリクエスト」が人気を博していた時代である。

古き良き時代はみんなが一生懸命であった気がする。今の時代と何が違うのだろか。少子高齢化の時代で、今何をすべきなのか、考え続けたい。

「考える」

「天の原 ふりさき見れば春日なる 三笠の山の 出し月かも」

望郷の思いをはせた和歌。古今集の中に詠まれている阿部仲麻呂の歌である。

長年の留年生活を終えて帰国する時に夜空の美しい月を見て、惜別のの歌を詠んだとされている。唐で見ている月が、かつて自分が見ていた奈良で見た月と同じであった。

過去・現在、唐・日本という違いを超えて万感が胸にこみ上げてくる。17歳で入唐し、三十三年の月日が流れている。いよいよ帰国という時にこみ上げてくる望郷の思いは、これまでの人生を顧みさせている。異国で三十三年。帰国を前に胸躍り、三十三年の人生を振り返るときの思いはどのようなものなのか。阿倍仲麻呂は、結局帰国できなくて唐土に没するのである。

遣唐船は当時の航海技術では、順調に渡れるものではなかった。鑑真和尚も乗船したが、難破し南の島に漂着したり、やっとの思いで九州に辿り着く。

もし日本に帰国出来ていたら、三十三年後の日本は仲麻呂の目にはどう映っただろうか。1200年前のことである。奈良時代には疫病が流行り、感染防止策を工夫して生活をしていた時期があった。つい最近のコロナ禍での生活の似ている。いつの時代も困難を乗り切る時は、人が知恵を絞り対策を生み出す。

これからの人工知能が人間の知能を超える時代。シンギュラリティなる時代が来ると言われている。

しかし、どのような時代でも人は「考えること」、考える余裕・時間を確保することが大切だ。

グローバル時代

最近は天候不順もあり、よく空を見上げることがある。

昭和の坂本九さんが歌った「見上げてごらん夜の空を」を思い出す。1964年、昭和39年の歌である。

同じころにクレイジーキャッツの植木等さんの無責任男シリーズが映画化された。今でも思い出す歌詞が「金の無い奴はおれんとこに来い!俺もないけど心配するな、見ろよ青い空、白い雲、世の中なんとかなるだろう!」本当に無責任な話です。

戦後の間もないころから、高度経済成長期に入るころのことである。電気洗濯機・電気冷蔵庫・白黒テレビなど三種の神器と呼ばれた時代だ。

団塊の世代、昭和22年から24年に生まれた人たちが中心となり日本の経済成長に貢献したと言われている。西暦1947年から1949年になる。現在77歳から79歳に当たる人たちだ。団塊の世代は800万人の人たちが生まれている。単年度で266万人である。現在は単年度で70万人。3年間の合計は210万人。ざっくりとした数値だが現在の3年間の合計より団塊の世代の単年度にも満たない。少子化のすごさが身に染みる数値だ。経済社会の構造も変化せざる得ない。モノの販売でも販売量が大きく昔と違う。解決策は、外国への販売世界的規模で考えなくてはならない。まさにグロバール時代なのである。

ゴジラ-1.0

『ゴジラ‐1.0』の映画が大ヒットして、本年度の視覚効果アカデミー賞まで取った。

主人公が放った言葉に「ゴジラ撃退において絶対に人は死なせない!」と言いながらも、自分がゴジラの誘導のための役を買って出て、第二次世界大戦待末期に造られた❝雷電❞に乗り込む。この戦闘機は、前翼型で400ノット、時速740キロの局地戦戦闘機である。形も変わっているが、脱出機能が付いている機種である。ゴジラをフロンガスの泡で包み、深海に沈める作戦だ。

それぞれの人間模様があるが、ポイントは「命」。人が生きる命が根底にあるように思う。戦後の街をゴジラが容赦なく踏み壊していく。戦後の復興に全力投球の市民の思いはどうなるのか。第二次大戦で多くの将兵が亡くなった。だから、今回のゴジラ作戦では一人も死なせないと決意を新たにあらわにした敷島。原爆を広島・長崎に落したアメリカ。アメリカはこのゴジラを見て何を思っただろうか。落とす側と、落とされる側の双方の主張を聞いてみたい。ゴジラの出現は、ビキニ沖の水爆実験が原因だ。架空のゴジラだが、日米関係の根底には必ず影響させている。今回のゴジラの映画を見たアメリカ人は何を思うだろうか。

「苦しいとき」

苦しいとき・・・。

体力的苦しい。精神的に苦しい。人とのいさかい。

いろいろあるけど、自分の評価が低下する時が一番苦しい。自己評価はもちろん、周りからの評価が下がり、自己肯定感が極端に傷つけられていく時が本当に苦しくなる。

そんな時どうしたらいいのだろうか?

自己肯定感を向上させるしかない。

向上させるためには、自分の強みの存在が大きく影響してくる。自分の強みの範疇で解決できるならいいが、それを超える時にはスルーした方がいい。

諦めが肝心。

しかしその反面、諦めない気持ちも大切だ。

仕事でも、勉強でも、まずはやってみる。やってみて失敗したら、修正してまたやってみる。これを繰り返すことで自分の強みがはっきり見えてきて、それを武器に変えられるのである。

学齢期の受験勉強。部活の試合に臨む時。仕事で結果を出す時。

諦めない気持ちを人は知らず知らずのうちに作り上げられている。

苦しいときこそ、諦めない気持ちで自分の強みで挑戦してると、その苦しさから抜け出せるかもしれない。

「自分を知る」

「自分を知る」こは、いろいろな所へ繋がりを持つことになる!!

高校入試は大学入試が最後ではない!その先には、自立して社会に適合すし、「生きる」ことが続いていく。その時に自分の強みで勝負する。働くということとの本質はここにある。働くことは自分のスキルが武器になる。これが「強み」だ。

人と上手くやるコミュニケーション力は実践が大切。頭で考えているだけではそのスキルは育たない。

「自分を知る」ことは、相手に知って貰うことにもなる。自分のことを知って貰え、「あの人はこういう人だよね」となれば、コミュニケーションもスムーズだ。

お互いを知ることは、思いやりの基本だ。思いやることにより、自分の立場や考えを中心にするのではなく、相手の言うことを聞く姿勢ができる。本当のコミュニケーションはこんな関係じゃないだろうか。会社では上司と部下、学校では担任と生徒、あるいは、校長と担当の先生、友人と自分、家族では親と子、兄と弟などの関係を良好にする。

自分は何者だ!!

暇があれば問いかけてみると面白い。

「昭和の祖父」

私の母方の祖父は白髪で面白い人だった。ケチでもあった。

お正月のお年玉でも普通の家庭では500円~1000円が小学生の相場だったが、祖父は『10円』だった。

信じられない瞬間でもあった。

祖父はプロレスと相撲のTV中継が好きで、自分の世界を作り上げていた。コブラツイスト『ツブラコイスト』と言い間違えていた。言い間違いは他にもあり、五木ひろしさんを『ゴキひろし』と言っていた。

宇都宮空襲の時は子供たちをリヤカーに乗せ逃げ惑うが、リヤカーを引っ張る祖父は、ズボンの前と後ろを逆に履いていたため、走る度にズボンがずり落ちてしまう。乗っている子供たちは、祖父の慌てた姿を見て笑っていた。緊急事態でお笑い芸人のように逃げ回っていたのである。今になって叔母たちが、祖父に恨み言のように話をしている。

祖父は前線に配属され、部隊の最後のお別れ会が開かれたとき、祖父がそこで芸を披露したところ、部隊長が「お前のような面白い奴を死なせるわけにはいかない。」と早々に自宅に帰され、近所の防空壕づくりをしていたという逸話もある。

日課は新聞をくまなく読んで、全ての情報をつかむことだった。

今生きていたら、何というのだろうか・・・。

「ことば」

言葉の力は大きい。

言葉を発した後に気づかされることが多い。

発した言葉が、自分の考えてた事と違う内容で伝わってしまう事が、時として起こってしまう。なぜだろうか。言葉を発った本人は、相手を傷つけようと思って発しているわけではない。頭の中で考えている事を正確に言葉にすることは結構難しいものだ。

最近、自分の言葉で話せない子供が増えている。一つは、学校での会話、家庭での会話、心を込めて話す機会が少ないからだと思われる。

朝起きて「おはようございます。」から始まり、「いただきます。」「行ってきます。」「ただいま。」「有難う。」「ごめんなさい。」などなど、日常の会話における言葉のやり取りが極端に少ない。何気ない日常の言葉を、心を込めて発する事で、正確な言葉を発する事ができ、相手に伝わる言葉が出てくるのではないだろうか。

「ゴジラ」

先日ゴジラの映画を見た。小さいころからゴジラ映画を見ていたので、親しみのある映画である。自分なりにテーマを探ると「生命(いのち)」ではないかと思う。

終戦近くにゴジラの出現。戦後の日本を容赦なく破壊するゴジラ。博士の言葉で「第2次世界大戦では、たくさんの命が奪われたが、今回のゴジラ撃退では、一人の命も落とさない覚悟で臨む。」と宣言。ここに、この映画の主題があるように感じた。主人公は、最初のゴジラ出現で武器を使えず仲間を見殺しにしてしまう。それがトラウとなって、ずっと引きずって生きていいる。最後はゴジラ撃退に自らの命をかけるが、命を落とさずに帰還した。人間の知恵vsゴジラの面白さが伝わる。

日本最初のゴジラ映画は、水素の泡で撃退される。今回のゴジラ撃退法はそのパクリと思った。批判はあったようだが、人間味のある面白い映画であった。

戦後の日本を背景にどんな展開になるのか、興味をそそられる作品だった。