「昭和の祖父」

私の母方の祖父は白髪で面白い人だった。ケチでもあった。

お正月のお年玉でも普通の家庭では500円~1000円が小学生の相場だったが、祖父は『10円』だった。

信じられない瞬間でもあった。

祖父はプロレスと相撲のTV中継が好きで、自分の世界を作り上げていた。コブラツイスト『ツブラコイスト』と言い間違えていた。言い間違いは他にもあり、五木ひろしさんを『ゴキひろし』と言っていた。

宇都宮空襲の時は子供たちをリヤカーに乗せ逃げ惑うが、リヤカーを引っ張る祖父は、ズボンの前と後ろを逆に履いていたため、走る度にズボンがずり落ちてしまう。乗っている子供たちは、祖父の慌てた姿を見て笑っていた。緊急事態でお笑い芸人のように逃げ回っていたのである。今になって叔母たちが、祖父に恨み言のように話をしている。

祖父は前線に配属され、部隊の最後のお別れ会が開かれたとき、祖父がそこで芸を披露したところ、部隊長が「お前のような面白い奴を死なせるわけにはいかない。」と早々に自宅に帰され、近所の防空壕づくりをしていたという逸話もある。

日課は新聞をくまなく読んで、全ての情報をつかむことだった。

今生きていたら、何というのだろうか・・・。