時代を生きる
昭和のギャグを生徒の前で平気で披露している。教室内はいつもシーンとしているが、ギャグを重ねていく中で笑う生徒が増えてきた。古い古いといいながらも聞いたことがないダジャレやギャグは幾分新鮮に感じられるのではないだろうか。そんな中で、すぐに理解しリアクションしてくる生徒がいる。その生徒は頭の回転が早い。
そこで、年齢の言っている人に「今がいいか?」あるいは「昭和のような昔がいいか?」聞いてみたい。皆さんはどちらと答えるだろう?答えの中心となる基準はなんだろう?食べ物、文化、教育。題材は様々だが何を基準に選ぶだろうか?
『時代を生きる』という事は、その時代時代に楽しい事を想像し、苦しい時代に戻りたくないと思うのが自然である。5年前に改訂された文科省の指導要領では『生きる』の育成がテーマの一つである。能力や態度を育成するという狙いはいいが、実践した結果を評価・検討し、どれだけの若者が社会に適合し職場で楽しく生きがいを感じているか調べて欲しい。上手く生きることができず「生きづらさ」を感じてる若者は少なくない。
「体が丈夫で健康あれば何とかなる。」と昔はよく言われたものだ。それは今も変わっていない。頭が良くても体が弱ければ外で働けない。PCの前でIT系といいながら何かを動かしている。対面での行動や会話の楽しさは、コロナ禍で十分感じたはずだ。
自由を獲得するには多少のお金が必要だ。労働を対価に変えて自立していかないと実現できない。自由の捉え方は難しい。心が解放されていく現象も自由ではないだろうか。本当の自由とは、何かを意味するのか。今後も考え続けていきたい。老いの戯言?だろうか。