「考える」

「天の原 ふりさき見れば春日なる 三笠の山の 出し月かも」

望郷の思いをはせた和歌。古今集の中に詠まれている阿部仲麻呂の歌である。

長年の留年生活を終えて帰国する時に夜空の美しい月を見て、惜別のの歌を詠んだとされている。唐で見ている月が、かつて自分が見ていた奈良で見た月と同じであった。

過去・現在、唐・日本という違いを超えて万感が胸にこみ上げてくる。17歳で入唐し、三十三年の月日が流れている。いよいよ帰国という時にこみ上げてくる望郷の思いは、これまでの人生を顧みさせている。異国で三十三年。帰国を前に胸躍り、三十三年の人生を振り返るときの思いはどのようなものなのか。阿倍仲麻呂は、結局帰国できなくて唐土に没するのである。

遣唐船は当時の航海技術では、順調に渡れるものではなかった。鑑真和尚も乗船したが、難破し南の島に漂着したり、やっとの思いで九州に辿り着く。

もし日本に帰国出来ていたら、三十三年後の日本は仲麻呂の目にはどう映っただろうか。1200年前のことである。奈良時代には疫病が流行り、感染防止策を工夫して生活をしていた時期があった。つい最近のコロナ禍での生活の似ている。いつの時代も困難を乗り切る時は、人が知恵を絞り対策を生み出す。

これからの人工知能が人間の知能を超える時代。シンギュラリティなる時代が来ると言われている。

しかし、どのような時代でも人は「考えること」、考える余裕・時間を確保することが大切だ。