Category: コラム

「ゴジラ」

先日ゴジラの映画を見た。小さいころからゴジラ映画を見ていたので、親しみのある映画である。自分なりにテーマを探ると「生命(いのち)」ではないかと思う。

終戦近くにゴジラの出現。戦後の日本を容赦なく破壊するゴジラ。博士の言葉で「第2次世界大戦では、たくさんの命が奪われたが、今回のゴジラ撃退では、一人の命も落とさない覚悟で臨む。」と宣言。ここに、この映画の主題があるように感じた。主人公は、最初のゴジラ出現で武器を使えず仲間を見殺しにしてしまう。それがトラウとなって、ずっと引きずって生きていいる。最後はゴジラ撃退に自らの命をかけるが、命を落とさずに帰還した。人間の知恵vsゴジラの面白さが伝わる。

日本最初のゴジラ映画は、水素の泡で撃退される。今回のゴジラ撃退法はそのパクリと思った。批判はあったようだが、人間味のある面白い映画であった。

戦後の日本を背景にどんな展開になるのか、興味をそそられる作品だった。

「文化祭」

11月23日に夢作志感謝祭(文化祭)が行われた。コロナを乗り超え久しぶりに昼食を作り、保護者と一緒に生徒も賑やかな一時を過ごせた。

数年ぶりに臼と杵を使い、餅つきもできた。初めて経験する子どもたちばかりだ。

思うに、ほとんどの子どもが、体力がないように感じる。協同作業する機会が少ないことも影響しているのかもしれない。昭和の時代は隣近所で協力して餅つきなどが行われたものだ。

親は子供に教え伝え、繋ぐものがある。生きる楽しさ、家族の楽しさ、学校の楽しさ。上手くいかなくなったら、皆で支え合う。

少し立ち止まて考えてみる。原因を外的環境かなのか、内定環境なのかを考えることで、成長に繋がる。親も子供も一緒に考える。疲れたら休む。

生きることは「自由」なのである。

何かに縛られるものではなく、何を選択しても「自由」なのである。

そんなことを感じた、文化祭だった・・・。

独り言つ(ひとりごつ)

学生時代に友達と肉まんを買いに行った。中華街だから、いろいろな肉まんが並んでいた。今のコンビニで売っているものとは全く違うものだった。安くて、中身に空洞がなく、皮いっぱいに肉が詰まっていたものだ。1個買って二人で分けた。

店先で声をかけた。「肉まん下さい!」

すると、若い娘さんがらしき人が「おいくつですか?」といった。

すぐさま友達は、「いくつに見えます?」と答えた。

娘さんらしき人は「15ですか?」という。

友達は、「そうです。」と答えると、

娘さんらしき人は店の奥に注文するように「はい、肉まん15個お願いします。」といった。

すると友達は、「肉まん1個!!」と大声で言い直したのだ。

娘さんらしき人は、肉まんを2つ紙に乗せて我々に1個ずつ渡してくれた。娘さんらしき人は、「いくつに見えます?」をちゃんと意味を理解していたのだ。勿論、1個分のお金で2個渡してくれた。平和な時代のエピソードだ。

手のひらを太陽に…

平和な時代に「手のひらを太陽に」という歌唱があった。

♯僕らはみんな生きている生きているから楽しんだ!手のひらを太陽に透かして見たら、真っ赤に流れる僕の血潮…と続く。

と思うと世間ではクレージーキャッツの植木等さんが

♯金のない奴、俺んとこに来い、俺もないけど心配するな、見ろよ青い空…と続く。娯楽のない時代であった。

我々世代の叔父さん・叔母さん時代である。この「なんとかる」という意味は、くよくよするな、考えても仕方ない、というようなメッセージである。この時代は、欧米文化に憧れ、追いつき追い越せの時代であった。欧米のライフスタイルなどを取り入れスーパーが出来たころの時代である。ものが多かった時代でもある。今や日本は経済大国になり、中国に抜かれるまでは世界第2位の経済国いまでなった。欧米のライフスタイルに憧れはなくなったともいえる。日本が本当の意味で少子高齢化社会をどのように舵取りしていくのか、将来の人材育成に貢献したいと思う。

スリースクールの存在意味

仕事をしながら、親子関係について考える事が多い。親子とはいったい何だろう?

嫌な親でも気づいてみたら親と同じ職業についていたりする。

「血は水よりも濃し」のとおり、親子の間には目に見えない何かが存在する。

不登校生になる児童の多くは、この親子関係が関係していることが多い。特に両親の中の悪さ、親と祖父母の関係など、思いもつかないところに関係性が示される。偉そうなこは何一つ言えないが、どんな状況も受け止めるだけの気力は、子どもには必要だ。

親の愛情を受けたくてもそれが出来ない状況なら、別の考え方で生きるしかない。だから人の手を借りてもいいんです。親族だけでなく、あかの他人でもいんです。ゆえに、フリースクールに通う意味はここにあるのです。(手前みそですか?)

お金で換算できないものが確実に働いています。人材不足の今の日本では、これからの社会に出ていく学齢期の子は大変重要な存在です。一人でも欠けることなく自立へ向けて生きていくことです。社会に貢献できる人材養成機構が夢作志学院です。(手前みそですか?2)

人のつながり

世の中には、「こういう人がいないとだめだ」という言葉をよく耳にしました。

私の会社の前面道路には、日々花を植え、「蒲生君平花街道」と称して、樹木の根の周りに花を飾り、世話をして、街並みを整備している人がいます。特別に写真を撮らせて頂きました。自分たちが住む町にこういう方が居てくれるお陰で、きれいな街に住むことができ、仕事もできます。感謝ですね。

通りがかりでお声を掛けたら、心よく対応してくれました。人柄がにじみ出ていますね。

高度成長期の時代を支えてきた団塊の世代の皆様。

一クラス何十人だった時代、今では考えられない状況だったと思います。その時代を生き抜き、街のためにして頂くことへの感謝を私たちは忘れてはならないと、今の高校生や小中学生に伝えております。

人はいろいろな人とのつながりで生きています。このことはいつの時代になっても、忘れないようにしたいですね。

60の手習い

60の手習いで現在、商業科の高校免許を取得中である。レポートを作成し評価をもらいペーパー試験に臨むわけである。気分的には若者と一緒である。少々無理かもしれないが、面倒だとか、大変だとか一切感じない。

教務課の窓口に顔を出すと学生証を提示すると対応する職員が「えっ!!」という顔つきをする。人は見た目のなのであろう。見た目で判断するなと昭和を生き抜いた人はよく言っていた。現代の多様性の時代は見た目で判断すると混乱が起きる。

本人の個性はあらゆるところに現れる。内面的なものを考慮すれば、個性と特性は大きく違う。この特性と個性の違いを分かる人はどれほどいるだろう。多様性の時代を定義してもそれがどうなのか、理解し、お互いのコミュニケーションに活かす手立てはないだろうか。

「手紙と線路と小さな奇跡」

2021年公開の韓国映画「手紙と線路と小さな奇跡」を観た。

1960年代はアジアで最貧国であった韓国。この映画の舞台は1986年、「漢江の奇跡」と呼ばれた時代だ。経済成長率12.9%。国際収支黒字額46億ドル。この時代には、まだ駅がない所もあり、そこに住む人々は駅がある所まで歩くのである。そのような村に住む高校生が駅の開設を夢見て努力をしながら、夢を叶えていく実話である。

大統領府に54通以上の手紙を出す。手紙が正しく書けるように正書法の講義を受ける。クイズ大会で1位になると大統領に会える特典を目指しクイズ大会に出場する。様々な努力を重ねていく。父親との関係、姉との関係など人間模様が見られる感動のストーリーだ。

現在の日本社会は少子高齢化社会。物価高でものが買いにくい時代でもある。ものを製造し販売する企業は、この物価上昇をどのように捉えているのか。我々庶民は慎ましく日々生活している。日本社会はどの方向に向かっているのか。先を見通せる政治家に聞いてみたいところだ。

マイクロツーリズム

『マイクロツーリズム』とは、地域の魅力発見と地域経済の貢献を考えた旅行形態を言う。

コロナ禍の中でも人の移動を避け3蜜対策講じ、感染リスク対策を維持しながら”旅気分”を味わうものである。これもコロナ禍の制限・制約から生まれたものだ。自宅から1時間~2時間の距離で近場の観光・旅行である。これは星野リゾートの星野佳路社長の提唱である。コロナで大打撃を受けても諦めず、待つのではなく視点を変え自分の信念を貫き通すというと、ちょっと違うのかもしれないが、旅行・旅というものを社会の中で確立させた。

人が生きるというのは衣・食・住が根底にあるが、”楽しみ・娯楽”も必要である。と人間の本質に迫っている。緊急事態宣言からわずか3ヶ月で事業を復活させ業績を回復させたのである。小生も見習い社会のニーズに応えたい。

「スーパー30 アーナンド先生の教室」

前述の数学立国のコラムの続きである。

『アーナンド先生の教室』

インド映画で実話をもとにして作られた映画がある。主人公は数学の天才でありながら貧しさからケンブリッジ大学に留学許可が出ているにも拘わらず行けなかった。後に極貧家庭の子ども30人を選抜し無償で教える私塾を設立した。生活の全ての現象、目に見えるもの、感じるもの、全て数学的に考え答えを出すという主旨だ。その考え方、視点をアーナンド先生は生徒たちに教えるのである。入試問題の解説とかかなり違っている。そして、ITT(インド工科大)という世界でもBest200に入る大学に30人全員合格させたのである。

アーナンド先生の教育プログラムは今でも活かされている。ご本人もご存命だ。アーナンド先生のように貧困に向き合い諦めない姿勢と、食事を提供し、無償で教えたこの実話は誰のためだったのだろうか。国の将来を考え数学で立国するという情熱から生まれたものだ。合格した30人が社会でどのような生き方をしているのか続編を期待したい所である。

数学嫌いの小生でもアーナンド先生の説明がなんとなく理解できそうな所も不思議さ感じた。

学生必見の映画の1つである。