「インサイド・ヘッド2」
成長という言葉にはいろいろな意味が含まれる。
成長に定義はないが、先日『インサイド・ヘッド2』を見た。
思春期の少女ライリーの成長と家族の絆が描かれていた。少女ライリーの頭の中の感情たちの世界が舞台である。感情たちがそれぞれに、「ライリーを作っているのは感情ではない!ライリーを作っているのは過去の積み上げてきた経験だ!」という場面があった。『ヨロコビ』が必死にライリーを助けようとする場面は自然と泣けてくる。自分にも経験があったような過去を思い出す。
前作にはなかった感情『シンパイ』が登場する。失敗しないように準備をし、また、失敗した時にどうするか先回りして準備する。なかなかウザい存在だが、誰でも経験・記憶にあるものだ。
この映画の最後に『ヒミツ』の感情が出てくる。マンホールのような穴から出てきてすぐに引っ込んでしまう。エンドロールが終わるころに映像が出てくるので、帰ってしまった人は『ヒミツ』の感情に出会えない。
誰でも持ち合わせている『ヒミツ』。
感情ではなく意思が自分を作る。
自分が何をしたいのか。「○○をしたい!」この気持ちが生きる原動力ではないだろうか。
「こんな職業につきたい」
「こんな人になりたい」
お金や社会的地位で人間の価値が決まるもではない。
良い自分も悪い自分も両方を受け入れることが、本当の自分なのである。
こう思うのは「さとうじぃ」だけだろうか。